言語化がもてはやされている裏側で

世の中

なにかと「言語化」がもてはやされている。
SNSがインフラ化し、コロナ禍を経てテレワークが普及した今、テキストコミュニケーションが重視されるようになったからだろう。

確かに、私自身も言葉を扱う仕事をしていることもあり、その大切さはよくわかる。
ただ、「言語化」が称賛される一方で、言語化が苦手な人を、知らず知らずのうちに生きづらくしてはいないだろうか。

例えば、うちの夫はとても感情豊かな人だが、決して言語化が得意なタイプではない。
私がつい感情をぶつけてしまっても、それを飲み込んでくれるおかげで、喧嘩になることはほとんどない。

言葉足らずで誤解されやすい面はあるかもしれないが、余計なことを一切言わない分、信頼される人だと思う。
言葉がなくても、行動で誠実さは伝わる。

言葉としてアウトプットされてないだけで、冷たいわけではない。
心が動いてないわけではない。

正直に言えば、私自身も言語化は得意ではない。
クライアントのビジネスを言語化することと、自分の感情を言語化することは、まったく別物なのだ。

会議の場でも、意見を言い合う場でも、すぐには言語化できない。
後から整理するタイプだ。だからといって、何も考えていないわけではない。
意見がないわけではない。

言語化が得意なほうが、ビジネスや恋愛では得をする場面も多いのかもしれない。

言語化する力は、これからも身につけていきたい。
それと同時に、言葉にならない心の機微を汲み取れる人でありたいとも思う。